代表取締役社長 兵頭喜文(Harry)の社長 ブログ |
まだアメリカの話が出てきません。それまでにいろいろあって-----。入社式後、一週間程各部署を回って研修を行った後、いよいよ配属。即米国出向の辞令がくると思いきやさにあらず。翌週から、涙、涙の工場実習です。毎日・毎日、機械の前に立たされて旋盤と向き合う日々。おかげでカーキ色作業服は油だらけになるは、おまけに下着まで切削油のせいでまっ黄色。ボヤボヤしてると先輩社員に怒鳴られるし、足は棒のようになるし。いやはや見ると聞くとは大違い。ところが先輩社員をよくみてみると、作業服に油さえ飛び散っていない。朝来た時とほとんど同じ状態。熟練するって凄い事なんだと感心したものです。
そうはいっても、俺は熟練工になるためにこの会社はいったわけじゃないし、いい加減こんな研修が続くようならやめてやるわいと腹をくくり、確か3カ月目に一旦辞表提出(あんなに苦労して就職した事もころっと忘れて----)。人事課長が直ぐにとんできて『どうしたんだ、君は米国出向の予定だぞ。少し位我慢できんのか?』と言われ、さんざん文句は言いましたが、夢にみた米国駐在を思い辞表撤回。思えば、小生短慮で生意気だったなぁ。当時の米国駐在は今と違い事の他厳しく、特別な技能を有しない限りなかなかビザもおりなかったらしい。技能を有した上で、米国からのインビテーションレターを送ってもらい、米国大使館の承認後初めて渡米可能だったそうな。今思うと、大学ポットでの坊やが3カ月や6カ月の研修でそんな技能が身に付くわけでもなく、ましてや入社半年で駐在というのも異例中の異例、英語もできるわけでもなく、ほんとに赤面してしまいます(ごめんなさい、その当時ご迷惑をかけた皆様)。短気は損気ですよ、ほんと。
で、その後小生の担当課長になって頂いたのが、T大の航空宇宙学科出身のH課長。背は高いしハンサムだし、おまけに趣味はグライダー。なんでこんな人が人里離れた工場の品管課長やってんだと思ったくらい。この課長の指導の下、小生は工程管理と品質管理を学ぶ事になります。毎日ストップウォッチをもって工場内を歩きまわり、工程改善レポートを仕上げる事になり、3カ月でほぼ完成。いってみれば人生で最初に与えられた仕事。3カ月位ではたいしたものはできはしませんでしたが、それでも相当の時短になるような材料は提供できたようです。いまでもそのレポートわずか20枚くらいですが、大事にもっています。この3カ月、それまで見えていなかったものが次第に見えるようになってきて、軽井沢の夏を安月給ながらも十分に謳歌(テニスに居酒屋にU市のディスコ、ビージーズがはやってました)。いやぁーー、夏はほんとによいとこだ。
そうこうしているうちに夏も過ぎ、10月。ついにビザ発給でいざ成田へ。1978年10月14日大韓航空成田発ハワイ経由ロス行き(もちろんエコノミー)。
まだあったんですよ、その当時、南回りというのが。
前の席にすわったのが、女優のN野R子さん。どっかのTVディレクターと一緒でした。ん、何故エコノミーに彼女がと思いつつ、しっかりサインだけはもらい、これもいまだに大事に保管してます。
そして、LA. 十数時間乗った飛行機のタラップをおりると、生暖かい風とチョコレートの匂い(何処の国にも飛行機おりると独特の匂いがしますが、ロスの場合はチョコレートだったような)。やっと到着。
以下次話。
Harry